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Planning Editor / Copy Writer

大西 陽子

1981年台東区合羽橋生まれ。大学卒業後、2016年9月に至るまで4社で14年間にわたり編集業務に従事。男性誌『TIGHT』『warp MAGAZINE JAPAN』『SENSE』、女性誌『LUIRE』といったファッション&カルチャーマガジンに携わった経験をもとに、フリーランスのプランニングエディターに。『warp MAGAZINE JAPAN』『SENSE』では副編集長を務める。雑誌・広告・カタログなど様々なフィールドで活動中。NY、LA、パリ、ジャマイカとの海外コネクションもアリ。

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「編む、そして思いを伝える」。本項主人公のホームページを覗いてみると、そんなキャッチコピーが目に飛び込んでくる。14年間に渡り、あらゆる雑誌を編んできたエディット力を活かして、世の中に溢れかえる情報や様々な人々の想いを噛み砕き、いかに正確に、かつ熱量を込めて届けるか。そうした伝道師としての生き方を大西陽子は選んだ。マガジンエディターからプランニングエディター、コピーライターに転身した、彼女の胸中に迫る。

生まれも育ちも下町で実家は商売をやっていたから、仕事っていうのが常に身近な存在でした。でも、学生時代はずっと好きなことだけをやっていて、具体的に仕事にしたいものはなかった。大手会社にコネで入る話がなくなってはじめて将来どうしようかと考えたときに、台東区・合羽橋でやっている旗屋の実家の仕事に役立つグラフィックデザインを学びたいと思ったんです。それで大学卒業後に専門学校に通いながら、高校時代から続けていたカフェでのアルバイトをしていたんですが、常連のおじさんがいきなり「出版社の社長が人を探してるんだけど、大西ちゃんよさそうだからどう?」って。グラフィックデザインを学ぶのにもよさそうだったから、アルバイトとして出版社に入ったんです。地元の会社だったんですけど、デザインまで編集がやるような体制でした。好きだったヒップホップ系の雑誌に携わるようになり好きなアーティストに会えたりと、どんどん編集の仕事が面白くなっていきました。それでグラフィックデザインの専門学校は2年制だったんですが1年で辞めて、編集者としての道を歩み始めたんです。

浅草にある出版社を経て『LUIRE』という女性誌に転職、ニューヨークやジャマイカなど海外取材にも行けるようになり仕事がどんどん面白くなっていたんですけど、ロンドンのセントラル・セントマーチンズという芸術大学に3ヶ月留学することにしたんです。見聞を広めるのはもちろんなんですが、仕事に疲れちゃったのが本音(笑)。後先のことは考えてなかったですね。またカフェでバイトしてもいいと常に思っていたので、仕事を辞める怖さはありませんでした。帰国して、やっぱり働くなら編集の仕事がよかったし、ファッションとカルチャーと音楽が好きだったから『WARP』を扱う出版社でお世話になることに。そこで、ストリートの第一線で活躍するクリエイターたちと出会えたり、編集部の人たちもすごく人間味があって楽しかった。編集とは人と人とのつながりなんだということを教わりました。下町で育ってきたせいもあってか、職人気質なタイプの人と一緒に仕事をするのはとても楽しかったです。

14年間の雑誌編集で培った経験を活かして、今はフリーランスのプランニングエディター、コピーライターとして活動しています。出会ったヒト、モノ、コトを編んで、思いを伝えるコミュニケーションを図ることが私の仕事です。最近はLINEやSNSなどコミュニケーションの利便性が高まった反面、誤解を生むことも多々あると思います。言葉選びを間違ってしまうと、伝えたつもりでも意図と反して伝わるかもしれない。伝えたいことをいかに正確に伝えられるかということにトライしたいんです。それを実現するためには、愛情を注がないと。どんな案件でも、まずは依頼主の想いに耳を傾けることから始まります。それをカタチにする仕事仲間と練り上げて届ける。単に、先方の意向を満たすためだけの仕事をする人とはなるべく組みたくないと思っています。三人寄れば文殊の知恵じゃないけど、同じゴールに向かって同じ価値観を持った仲間と見た人に共感してもらえるモノを作っていきたいです。

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